先輩起業家・経営者インタビュー

★六代続く家業を継いで、世界に挑む。/廣田良介/創業150年・酒の山城屋 七代目/EIP7期生

プロフィール

廣田良介/創業150年・酒の山城屋 七代目/EIP7期生
1984年生まれ。出身:大分県。青山学院大学卒。青山学院大学在学中に、ネットショップ運営会社にてインターンを経験。インターネットショップ店長を務める。大学卒業後、人材系ベンチャー企業に入社し営業部門で新人賞を獲得。その後、実家の大分県に帰郷し、150年続く酒屋の後を継ぎ、地域活性に挑んでいる。

 

大分豊後高田で150年続く酒屋を継ぎ、次々と新たな仕掛けを生み出し、イノベーションを起こしている廣田さんに、突如として家業を継ぐことになった経緯、徹底的に鍛えられたネットショップ運営のインターン経験、そして日本の伝統文化であるお酒を世界に発信していくことで大分の活性化につなげていきたいという想いについて伺いました。

僕自身も実家が酒屋ということもあって、商売人の血が沸き立った感じです。
インターンをする前はどのような大学生活を送られていましたか?

ひたすら遊んでいた学生でした。歴史好きという単純な理由で歴史学科に進んだのですが、確固たる目的意識もなく、漫然と学生生活を送っていました。サークルにも参加していましたが、長続きはしませんでした。そんなだらだらした大学生活を過ごしていたのですが、2年生の時、持病のアトピーが悪化してしまって、外出が出来なくなったんです。それが半年ぐらい続いて、ずっと自宅で本を読んだり、映画を観たりしていたんですね。生死の境目ではないですけど、そこまで考えたこともありました。その時に将来について、大学卒業後の就職について初めて真剣に考え始めたんです。「就職とは何ぞや」「社会ってどんなもんなんだ」と。そういうことを調べたり、本を読んだりしていたら、ETIC.のインターンシップセミナーを見つけて、参加することになりました。
就職とは、社会とは何だろうと思ってセミナーに参加していたのですが、他の学生は、「起業したい」「将来こういう方向に進みたいからこういうことがしたい」と意識の高い学生が集まっていて、とても驚きましたね。井戸の中の蛙じゃないですが、こんな世界があるんだ、こんな学生がいるんだと初めて広い世界をそこで見たという感じでした。

その後すぐにインターンが始まるんですか?

インターンシップセミナーに参加した後の個別キャリアコーチング(インターンや戦略的な学生生活の過ごし方などをETIC.インターンシップコーディネーターと相談できる場)で僕が大分の酒屋の息子という話をするとETIC.が主催する東京ベンチャー留学を紹介され、参加させてもらったんです。(東京ベンチャー留学とは、地方在住の学生向けに、2泊3日で東京のベンチャー企業を中心とした起業家の元を訪ね、仕事の話から人生の話まで直々に話が聞けるプログラム)そこでいろいろな起業家の方と出会って話を聞かせてもらいました。

その時には、インターンを経験して、実家を継ぐというようなことは思い描いていたのですか?

セミナーに参加した時はインターンはやろうとは特に思っていなかったです。そもそもインターンが何かもはっきりわかっていなかった状況だったので。もちろん実家を継ぐということも、考えていなかったです。父も「継ぐな、継ぐな」と言っていましたし。

最終的にインターンをやろう思ったのは、東京ベンチャー留学の影響が大きかったです。東京ベンチャー留学に自腹で地方から来ている意識の高い学生と触れ合って、かなり刺激を受けたんです。伊藤さん(ETIC.インターンシップコーディネーター)と話す中で、実家の酒屋の話をしたんですよ。そうしたら店舗の経営を体験できるネットショプ運営のインターンを紹介されたんです。たまたま東京ベンチャー留学の講師としてネットショップ運営会社の代表も登壇されていて、いろいろお話をさせて頂いて、「良かったらうちに来てみなよ」というお話を頂いたんですね。結局その出会いでネットショップ運営のインターンを決めたというところですね。

東京ベンチャー留学に参加して、地方の学生に刺激を受けたということですが、どんな刺激だったんですか?

ETIC.の最初のインターシップセミナーの時もそうでしたが、今思えばアントレプレナーシップというか、僕自身も実家が酒屋ということもあって、商売人の血が流れているんだなと感じたんですね。商売人の血が沸き立った感じです。それが一番新鮮でした。

東京、地方に限らずETIC.に来ている学生はそれぞれ全く違う領域でやりたいことが明確にあったり、起業したい人が多かったんです。自分にはそういうのがあるのかなと考えたときに、自分のルーツを考えていくと「酒屋」で「商売」というところに単純ですけど行き当たるんですね。その中で俺もやってやるぞという気持ちに掻き立てられたんです。

ネットショップ運営以外のインターンシップには興味がなかったのですか?

そうですね、ネットショップの運営だけでしたね。なぜかと言われると理由は答えられないですけど。余談ですが、インターンの面接の前に事前課題があるじゃないですか。それを準備しながらも絶対受かるんだろうなと思っていたんですけど、その事前課題を作成途中でトラブルがあって、パソコンが壊れたんですよ。画像とかもたくさん使う課題だったので、容量がパンクしてしまったと思うんですけど、作業中にパソコンが壊れちゃって全く起動しなくなったんです。それは課題提出の前日とか2日前くらいだったんです。課題も完成間近だったので、メールでデータを転送し、データは無事だったのですが、パソコンで作業ができなくなってしまいました。それでどうしようかと考えて、見ず知らずのアパートの隣の人の戸を叩いて、「パソコン貸して頂けますか?」とお願いしたんです。50歳くらいの男性の方だったんですけど、有難いことに部屋に入れてくれてパソコンを貸してくれたんです。提出時間にはちょっと遅れてしまったんですけど、インターン先の受入企業に理由を説明して、夜中に送信して、なんとか無事合格することができました。

とにかく今から考えても、人生で一番がむしゃらに働いた時間でしたね。
早くしてネットショップ店長となったと聞いていますが、実際にインターンではどのようなことをされていたのですか?

とにかく今から考えても、人生で一番がむしゃらに働いた時間でしたね。もう毎日夜遅くまで働いていましたし、泊りこんだこともありました。本当にがむしゃらに働いていました。

インターン先では、良いと思った商品やブランドに投資し、その商品の良さを伝える仕事をしています。その仕事の内容は、商品開発や企画、カメラ撮影、キャッチ、広告制作、投資計画策定、ブランド構築の戦略策定まで、幅広いことを行っています。インターン生には師匠がついて、子弟制度という形で主にブランドのネットショップ運営のインターンがスタートするんですが、その師匠の下でわりと自由にいろいろやらせてもらえるんですよ。アトピーの病気の時に読んでいたPDCAサイクルの本などが役にたって、本で得た知識をインターンの現場で実践させてもらっていました。

そのようなPDCAのサイクルを徹底したことが成果に結びつき、早くネットショップの店長になれたんだと思います。上司も徹底した方なので、「まだ甘いまだ甘い」と注意されながらPDCAを徹底してやっていました。なので結果が出ないわけがないですよね。

インターン先だった企業はクライアントであるブランドと業務提携という形でネットショップの運営を行っているので、例えば商品の企画段階から入っていけますし、企画するにせよ、自分たちでストーリーを作るんですよ。この商品の背景にどんな物語があって、エンドユーザーは男性の40代でこの辺に住んでいて、普段はこんなものを食べて、こういう行動をする人だと。そこまで落とし込んで一つ一つストーリーを作ってその商品をブランディングした上で販売していくんですね。

またサイト全体の戦略を立てて、どのくらいの予算をかけてやっていくのか。その結果でどれくらい成果を見越すんだと。そこまで落とし込んでやった上で、費用対効果をどうやって測るのかなど、戦略立案、企画、実行まで全部やらせていただきました。仕事においてそこまで実践できるのは、なかなか無かったことですので、ものすごく新鮮だったし、刺激的な毎日でしたね。

インターンは、人生で一番がむしゃらで働いていたと言われましたが、そこまで頑張れた動機は何だったのですか?

今までの自分を変えたいということもありましたし、せっかく熱くなれるものに出会えたのだからここで頑張らなければいけないという気持ちでした。それと併せてインターン開始時に今後、実家の酒屋でインターネットショップをやっても面白いなと思っていたので、まずはそのやり方を徹底的に学ばしてもらおうと思っていました。また立ち上げから成長軌道に乗せるまで、それこそ自分のお店だという気持ちで運営していましたし、自分のやったことがダイレクトに影響して、売上が伸びていくのが分かるので、やっていた面白かったですよね。もちろん結果が出ないこともありましたけど数字が見えるので、その結果が出ないことも含めて刺激的でした。

インターンが終わってからの就職活動では、どのような考えで就職先を決めていったのですか?

インターンを経験することで、自分で事業をやりたいという思いが強まったんです。それで何年間、会社員として働こうかと考えたときに「2年」と思ったんですよ。一般的には3年で辞める!という人が多いですが、僕は3年のところを2年で詰め込んでやってみようかなと思って、どの面接でも2年で辞めますという話をしたんです。「2年間働かせてください。それまでに成果はもちろん残します」と。インターンシップである意味、自信が出来ちゃっていたので、とにかく成果も出しますし、2年分のものを返させて頂きますと面接では言っていました。結局、そういう生意気なことを言って受かるのは、ベンチャー企業とか、風変りの企業しか残らないんですよ。それで最終的にベンチャーの人材会社に入社することにしました。

中途半端に成功するなら失敗した方が一皮も二皮もむけると思いますね。
社会人1年目で新人賞を取られますが、その要因何だったと思いますか?

入社した会社は夜遅くまで残業があったり、休日出社も多かったのですが、インターンでがむしゃらに働いた経験があったので、免疫があったのは大きかったと思います。実際ある先輩が「営業は量をこなしていくうちに、その量が質を超えていくんだ」と言ったんですけど、インターンの経験でもそういうことがあったので確かに量をこなすことが大事だと思えたんですよね。だから同期の中でも営業の電話を1番かけましたし、1番飛び込んだのも僕だと思うんです。またPDCAのサイクルを確実に回していくことや、一つ一つ成果を意識して徹底的に落とし込んでいくという、インターンの時に染みついた習慣が大きかったと思います。

それとインターンの影響とは別に、入社直前に失敗を経験したことも大きかったと思います。印象的なのが、入社前の内定者合宿での失敗です。その合宿では大きな声を出して競ったり、40キロ走のような歩くプログラムがあったりして新人を競わせ、競争意欲を高める合宿だったんですけど、その合宿の個人成績が女子も含めて最下位だったんですよ。それがとても悔しかったんです。インターンでの成功体験もあったし、他の人より割といろいろとできたので、変なプライドみたいのがあったのですが、最下位だった。その経験を通じて、馬鹿になれるなり方を覚えたというか、別にプライドなんかいらんなと思ったんです。だからとにかく突っ走ることができたのだと思います。

失敗したことが逆に原動力となり新人賞が取れたということですね。

そうです。僕が1つ思うのは、中途半端に成功するのであれば失敗した方がいいと思うんですよ。失敗した方が得るものってすごく大きい。圧倒的に成功するならいいんですけど、中途半端に成功するなら失敗した方が一皮も二皮もむけると思いますね。失敗というか敗北でもいいんですけど、そういう失敗をたくさん経験したのでその都度に悔しくてモチベーションになった。早い段階で失敗を経験したという意味では、僕は運が良かったと思います。

五代目の祖父が倒れて、父から「帰って来てくれんか」という話をされたんです。
その会社は結局1年で辞めて実家を継がれるわけですけど、実家を継がれた理由は何だったのでしょうか?

入社して1年近くたった頃に祖父(酒の山城屋 5代目)が脳こうそくで倒れたんです。その後、復活はしたものの足はひきずって満足に仕事もできなくなったんです。祖父と父と母で酒屋を経営していたんですけど、祖父がいなくなり戦力半減になってしまって大変だということで、その時、初めて父から「帰って来てくれんか」という話をされたんです。今までは、お酒の業界は縮小市場で、それを見越した上で「帰ってくるな。継がなくていい」という話をされていたんですけどね。

家族は実家の酒屋を継がせる気はなかったんですよね?

そうです。僕が帰ってくるまで、僕で7代目になるというのも知らなかったですし、150年歴史が続く酒屋だとも知らなかったです。そういうプレッシャーも別になく、継ぐ気持ちも別にない状況だったんです。何回か大分に帰って家族会議をしたり、いろんな人に相談したんですけど、家族以外は、ほとんどの人が「まだ早いよ。もう少し東京にいた方がいいじゃない」と実家に戻ることに反対でした。営業先のお客さんからうち来ないという話があったり、当時の社長からも引き止められました。いろいろ考えたんですが、結局一番の決め手になったのが、ここで帰ってあげなかったら親父が忍びないなと思ったんですね。実は、祖父の時に山城屋は1度倒産しているんですよ。結局うちのおやじが借金を背負って返しながら僕ら兄弟を育てくれたんです。僕が長男なんですが、まだ弟も大学生で、一番下が高校生だったりするので、逆の立場だったらどうやって経営していくのかと考えるわけです。今までたくさん借金を返済して来て、このままだと報われないなと思ったんですよ。

実際に帰られて、150年近く続く酒屋という歴史を掘り出したと仰ってましたけど、どういったことをされたのかを簡単に教えてください。

まずはインターネットショップを作りました。運営は僕1人でやっていますけど、オープンして1年後くらいには、僕1人は食えるくらいの収益を出して、今も続けています。あとはインターンを通じて学んだことなんですけど、今あるものの強みを発見して再販売する、ブランディングの再構築を行いました。インターン時に、商品の見せ方を変えたり、売り方を変えて売り上げを伸ばすことを経験していたので。それと先ほども話ましたけどPDCAを徹底する。本当にそれが当たり前の基本的なところですが、そこをやると変わるんですよね。ネットショップを開業してから、一つ一つ、山城屋にあるリソースを洗い出して、意味を持たせたり、違う意味を持たせたりすることを徹底したんですよ。「150年続く酒屋」というリソースもその一環で掘り出したことなんです。

それだけでなく営業もやっています。実は地方の酒屋は、昔からの長い付き合いが多かったりするので新規のお客さんの開拓はあまりしないんですよね。でも実際に営業してみると飲食店でも飲み屋さんでも、世代交代の流れがあって、意外と30歳前半くらいの人が店長だったり、店主だったりすることが多いんです。そこが営業の切り口になって新規のお客さんの開拓につながったりしています。

地方ならではのことで、苦労されたことはありますか?

たくさん苦労していますよ。都会でやるビジネスと地方でやるビジネスは、やっぱり違うんですよ。例えば地方はより価格に敏感だったり、都会で売れるものは逆にこっちで売りにくかったり。洗練しすぎているものは店頭ではなかなか売れなかったり。バランスは難しいですよね。そこは一生ずっと考え続けていかなければいけないところだと思っています。

インターンシップの経験が家業を継ぐことや今の仕事にどのような影響を与えていると思いますか?

僕の場合はETIC.に出会うまでは、自分の中の起業家精神というか、そういうものを持っていると思ったこともなかったんです。ETIC.に行って、初めて気付いて、ブラッシュアップされて燃え上っていったんですよ。正直そこが一番大きいですね。今の家業でも社会人になっても、これからもそうなんでしょうけど、アントレプレナーシップを掘り出されてそれが磨かれたのはとても大きいと思います。

インターンを経験したことで考え方とかマインドとか働く姿勢で変わったことは何かありますか。

何でも徹底するというところですよね。インターン先の代表ほど、徹底している人はいなかったです。一つ一つの物事に関して「なんで?なんで?」と本質を掘っていくのがすごくうまい方なんです。インターン時にネットショップの店長をやっていて、「それなんでするの?」と徹底的に聞かれるんです。掘られることによって、その行為であったり、施策であったり、物事の本質が浮かび上がってくるんですよね。そこを徹底すること、本質を追究するところは、インターンの経験からの影響ですね。

脈々と続く日本の伝統文化であるお酒を世界に、次世代に発信していくのは大事だと思っています。
今後のビジョンに関して、7代目として酒の山城屋を今後どういう風にしていきたいと考えていますか?

いかに売上を右肩上がりにし続けていくかですよね。配達などの地域密着でいく部分と、配達でカバーできるエリア以外のところを、ネットショップを通じてどれくらい取っていけるか。その2つが今後の柱だと思っています。

個人としては、お酒は昔から脈々と続いている日本の伝統文化だと思っているんです。その担い手として世界であったり、次世代に価値を発信していくのは大事だと思っています。具体的には、今年は世界のお客さんを相手にインターネットを使って、日本の伝統文化というのを切り口に、お酒を販売していきたいと考えています。ただお酒に関しては関税が難しいので、そこを工夫してやっていきたいです。

地域で商売をしていくところと、インターネットを使って日本全国で商売をしていくところができたので、次は世界からいかに日本にお金を持ってくるかということも考えてはいます。そこが事業として成功していったらものすごく強いですよね。事業も三本柱になりますので。

どういった経緯で世界を相手にお酒の販売することを考えるようになったのですか?

僕の場合は、インターンした後、ETIC.が主催する「自分プロジェクト経営」という講座に参加したんですけど、その講座で自分のルーツが「商売」と「地元」の2つがキーワードだと気付いたんです。地元に貢献していくというところを広めたら、地域、大分、九州、日本と広がって行くわけで、そしたら次の舞台は世界だと思ったんです。そこにうちも入っていければ、日本に、九州に、大分に貢献することになると思うわけです。そういったことを学生の頃から考えていたのが影響していると思います。

大分という地域で仕掛けていきたいことは何かありますか?

うちの酒屋のある町が豊後高田市という町なんですけど、昭和の町ということで、ちょっとした観光地になっているんですよ。「昭和の町の商店街」を再現して観光客を集めているんです。昔うちは酒造りもしていて、その本店だった場所に酒蔵が今の営業所よりも町に近いところにあるので、そこを開放して、観光の一拠点にしていきたいと考えています。酒類販売免許を新規取得し、2011年4月29日には物販所をオープンさせたので、次は少しでも早く酒蔵を改装したいと考えています。

地元の大分に戻って来たからこそ見えてきたこと、仕掛けていかないといけないと思っていることはありますか?

より大分に貢献したいという気持ちは強まりました。直近の目標としては、「大分産の酒」を一番売れる酒屋になりたいですね。インターネットのショップも実は大分産のものしか売ってないんですよ。大分にお金を落としていくことが、直接的には地域活性になると思っているので。うちの町が観光地として売り出しているので、どんどん大分のものを他の地域の人に買って頂いて、大分の活性化に貢献していきたいと思っています。

インターンが人生にどんな影響を与えていると自分で思われますか?

「環境」がこんなにまで人を変えるんだなと思いましたね。もっと言ってしまえば、実際その環境を作るのも人なんだと思うんですよね。僕の座右の銘ですけど、「人が環境を創って、その環境がまた人を創る」。結局僕がETIC.に行ったのも僕の選択だったわけですが、一歩踏み出してみたら、ETIC.に集まっているたくさんの人が刺激をくれて、人生を変えられた。要は好循環、良いスパイラルになっていったのが、インターンを通しての影響だったと思います。大きな成長を遂げるには、自分で環境を変えないといけない。自分で次の環境に飛び込まないと成長の速度は速まらないと思いますね。

ETIC.のインターンシップの魅力は端的に何だと感じていらっしゃいますか?

率直に言うと、ここまでの内容でかつ、長期間で実践的というのは他にないんじゃないかと思います。僕はインターンシップ=ETIC.になってしまうのですが、他の人の話を聞くと職業体験的な要素が強いので、がっつり入っていって成果まで求められる、場合によっては成果に応じて報酬が出るというのはETIC.以外あんまりないんじゃないないかと思います。

だからといって単にインターンシップするのではなく、やるからには徹底してやらなきゃ得るものが少ないと思うんですよね。徹底的にのめり込む体験が1つでもできると、人生間違いなく変わると思うんですよ。だから徹底的にのめり込んで、がむしゃらにできるかどうかが大切だと思います。

(2011年4月取材)

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