先輩起業家・経営者インタビュー

死んだ後も生き残る社会インフラを創りたい/佐藤 竜也/EIP5期生/株式会社プラスアール 代表取締役

プロフィール

佐藤 竜也/株式会社プラスアール 代表取締役/EIP5期生
1984年生まれ。出身:茨城県つくば市。 慶応義塾大学経済学部卒。大学1年次よりインターンとしてフラクタリストに参画。2006年にモバイルSEO事業立ち上げを行い、2008年4月より事業部長に就任。モバイルSEOのコンサルティングやメディア開発に注力した後、2009年3月フラクタリストを退職。株式会社プラスアールを創業。「モバイル×医療に革命を」をモットーに、ソーシャルアプリやスマートフォンアプリ、公式携帯サイトなど幅広くヘルスケアサービスを展開している。

 

23歳の若さで、上場企業であるインターン先の事業部長として活躍した佐藤さんに、完全に0から独学でサービスを立ち上げ、その後、事業部長に抜擢されるまでの経緯、事業を通じて「強い日本」「世界に誇れる日本」を創りたいという理念や「人々にとって必要不可欠なサービス」を生み出したいというビジョンを伺いました。

田舎出身ということもあり、華やかな大学の雰囲気に馴染めず、大学生活のスタートでつまずいてしまいました。
インターンをする前はどのような大学生活を送られていましたか?

茨城県出身で高校まではずっと野球をしていて、ほとんど遊ぶということをしていなかった高校生でした。慶応大学に入ったら明るい未来が待っているんじゃないかという期待をして入学したのですが、田舎出身ということもあり、華やかな大学の雰囲気に馴染めず、大学生活のスタートでつまずいてしまいました。テニスサークルにも参加していたんですが1ヶ月半くらいで辞めてしまいました。「学生生活、何をやるか、ゼロベースで考えないといけないな」と思いながら過ごしていく中で、せっかくだから本でも読んでみようと思っていろいろな本を読むようになりました。

それで本を読んでいくにつれて経営者の方がかっこいいなと思うようになるんですね。最初に読んだ経営者の本が、カルロスゴーンさんの本だったのですが、「自分が知っている世界とは全く違うダイナミックな世界」を感じたんです。そこでビジネスの世界に興味が沸き、インターネットで検索して、大学1年の春休みにETIC.のセミナーに参加することになります。

そこで、ETIC.のインターンシップコーディネーターの佐々木さんに、IT系の会社である株式会社フラクタリスト(以下フラクタリスト。現ngi group株式会社)を紹介されインターンが始まります。そもそも僕はインターネットも得意ではなく、ブラインドタッチも危うかったんですけどね(笑)。

実際にインターンが始まり、どのような仕事を担当されたのか教えてください。

当時フラクタリストはネットワークに関する技術開発やアプリケーション開発 、ネットワーク系のコンサルティングなどの事業を行っていました。その事業の中でインターン開始時に担当したのが大手メーカーからの調査案件の仕事でした。そのメーカーがインスタントメッセンジャーとアバターを掛け合わせた事業を中国でやりたいということで、その市場がどうなっているのかを最初の2ヶ月くらい担当させてもらっていました。台湾人の上司とWEBで調べたり、辞書を使いながら調査をしていました。その後も調査案件を担当しつつ、営業同行も一緒にやっていました。

インターンを開始して面白かったことやのめり込んでいくことにつながる、スイッチの入った瞬間があったら教えてください。

たぶん2回スイッチが入ったことがありましたね。1回目が大手代理店からの調査案件でのことです。僕が案件丸ごと調査して、レポートを作って、納品をしたんですが、会社としての売上が数百万円だったんです。それだったら同じことを自分で独立してやったらお金が入るんじゃないかと思って、起業を意識し始めたのが、1回目のスイッチが入ったポイントでした。1年程インターンも経験した頃、ある程度仕事の仕組みとか分かったつもりになって、友達と起業しようと考えたんです。それで自分たちで調査をし、それを雑誌社に売ろうと実際に動いてみたんです。大学生の恋愛観調査という感じで、東大、早稲田、慶応で1000人くらいにアンケートを取ってそれを雑誌社に売り込みました。ただ、雑誌社に営業したことがなかったので、どうやれば良いのかわからず、会社の代表メールとかにメールを送って待つというぬるい営業しかできませんでした。結局、手元に回収した1000枚のアンケート用紙が残っているだけみたいな感じで失敗に終わってしまいました。

2回目のスイッチは、地元のつくばでホットペッパー(リクルート発行)のようなクーポンマガジンを発行しようと動きました。ビラを撒いてアンケートを取って、どういうクーポンマガジンを必要としているか聞いてみようと動いてみたんです。その過程で東京とつくばの広告単価の差が気になり、地元のフリーペーパーのライターさんに聞いてみたんです。すると広告単価が圧倒的に低かったんですよ。それで自分たちのプランは無理だと判断して、2回目も失敗に終わってしまいました。そういうよくわらかないことに2回、約20万位自腹で出費してやったりしていました。そういうことをインターン中に時間を見つけて行っていたのですが、「自分ではまだ事業を創れない」ということがわかったので、事業を創れる経験を積んでから起業しようと考えてインターンを継続することにしました。その頃、会社としての上場のタイミングが近いこともあって、広報とか上場の資料を作ったりすることを担当する社長室が出来て、社長室の仕事を担当することになりました。社長室といっても社長を含めて3人しかいなかったんですけど。そこで当時社長であった田中さんの近くで仕事をすることが多くなり、田中さんが話していること、考えていることに共感できることが多く、面白いなと思って、この人についていこうと思うようになりました。

佐藤さんに社長室に声が掛かったのは、何がポイントだったんですか?

自分で言うのもなんですが、調査の案件も雑用も効率よく、早く、ミスも少なく仕事をしていた部分があったからだと思います。併せて、雑用も嫌がらずにやっていました。そういった日々の積み重ねが評価されたんだと思います。

雑用というとあまりやりたくない仕事だと思うのですが、どういう姿勢で仕事と向き合っていたのですか?

効率化していって、自分の成長を見ることが好きだったのはあったと思います。例えば資料を印刷して封入して並べておくというのも5分と決めて、いかに早くやるかとか。次はそれを4分30秒でやるみたいな工夫はしていました。あとは徐々に朝早く来て、社員がまだ誰も出社していないときに一人で準備を終わらせたり、僕の中で工夫や改善を繰り返して、それ自体を楽しむということをやっていました。トナーを買いに行くのも、何分で買って帰って来ると決めてやっていたりしていましたね。

大学4年次のインターン中、0から独学で勉強して、モバイルSEOコンサル事業を自ら立ち上げ、23歳の時に事業部長に抜擢されました。

社長室での広報を担当した後、一人でモバイルのSEOコンサル事業を立ち上げを行っていくことになると思うのですが、その経緯を教えてください。

広報を担当する中で、メディアに対してプレスリリースをする情報がなく、「リリース情報がなければ自分で事業を立ち上げて、リリース情報を創ってしまえば良い」と思って、社長の了承のもとモバイルSEOコンサル事業(=携帯サイトが検索された時の順位を上げていくコンサルティング)を自ら立ち上げました。立ち上げると言っても完全に0から独学で勉強をしてサービス提供をしていたので、最初はまったく順調にいかなかったんですね。事業をスタートしてから4ヶ月間、1件も売れなかったんです。正直当時の事業部長からは、「もうやめよっか」とは言われていました。最初の1件を受注するのが難しかったんですよ。サービス自体が時代の最先端で、業界自体の比較対象もなかったですし、会社としての実績もなかったので苦労はしました。ただ、1件受注してからは、徐々にお客さんが増えていくようになりました。大学4年次のインターン中にその事業を始めたのですが、事業を立ち上げて約1年ほどはすべて一人で業務を担当し、事業も拡大させていきました。その結果が実り、モバイルSEO事業部として新事業部になるまでに事業が発展しました。事業部への格上げは社員として入社して2年目の23歳の時だったのですが、自ら立ち上げた事業ということもあり、有難いことにその事業の事業部長に抜擢していただきました。

上司から「そろそろその事業は、たたもうか」と言われても続けられた要因は何だったんですか?

会社が株式上場したのが9月で、モバイルSEO事業をリリースしたのが10月だったんですが、翌年1月末の半期決算で上場早々に業績の下方修正を出したんです。なので、業績を良くするためにも自分が新しいサービスを収益化させるしかないという危機感を持っていたことも続けられた要因だったと思います。会社の在籍も長かったので会社が好きになっていて、業績を復活させるには何か結果を出さないとマズイだろと思ってやっていた面もありましたね。

そこまでの強い当事者意識と経営者の視点を持って、仕事に取り組めた要因は何だったのですか?

愛社精神もあったと思いますが、社長室の配属となり、社長の近くで仕事をしていたことが大きかったと思います。経営者である田中さんの近くにいて田中さんの想いだったり、考えを聞く機会が多かったこともあって、経営者と同じ視点でどうやったら会社が良くなるかと考えるようになっていたんだと思いますね。経営者といる時間が長かったのが大きかったですね。

「強い日本」「世界に誇れる日本」を、事業を通じて創っていきたい。
事業部長に就任して約1年後にフラクタリストを退社され、起業されますが、起業までの経緯を教えてください。

元々は、上場して資金ができたらいろいろ子会社を作って会社を発展させていくという話もあり、自分も子会社の社長として経験を積みたいと将来を思い描いていたのですが、残念ながらそういう状況にはなかなかならなかったんです。それなら自分で独立するしかないと思って起業しようと決意しました。自分で事業を0から立ち上げて自信も多少ついていたこともあり、起業する後押しにはなりました。

実際どういう事業をやろうかと考えている中で、なぜか体の悩みや健康系医療系の悩みワードの検索数が非常に多いことに気づいたんです。それがきっかけで海外のサイトをいろいろ調べてみると、海外では健康系のサービスが盛り上がっているのを知りました。しかしまだ日本にはそのような医療系サービスがあまりなかったので、やりがいもあるし、面白そうだなと思い、株式会社プラスアール(以下プラスアール)の事業を考えました。

プラスアールの事業を簡単に教えてください。

多くの人の体に関する不安や悩みを解消するために、健康・医療分野に特化したモバイルサイトを公式キャリアサイト中心に展開しています。またそれだけでなく、mixi、GREEなどの、各種SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)上での健康・医療に特化したゲームアプリの提供だったり、治験募集や疾患啓発など、健康・医療に特化したメディアの運営も行っています。

サービスの一例をあげると、国内初のTwitter上で励ましあいながら禁煙するiPhoneアプリ「禁煙なう」を企画開発したり、医療・健康系ソーシャルゲーム 「島のお医者さん」といって、ゲームや健康雑学クイズを通じて、ヘルスケアの知識を身に着けていくゲームを提供したりしています。

若くして会社を立ち上げることに不安はなかったのですか?

もともと自分で事業を立ち上げた経験があったというのもありますし、起業して失敗しても死ぬことはないなと思っていたんですね。何とか生きていけるだろうと。フラクタリストの中でも、自分で0から営業やコンサルをやって事業を立ち上げて、売上ベースで年間1億円以上の事業は、新卒2年目で作れたんで何とかなるとは思っていました。

会社HPの代表挨拶には、「片手にモバイル、片手に論語」ということを書かれていますが、創業への想いだったり、会社のビジョンはいつごろから考えるようになったんですか。

田中さん(フラクタリスト元社長)の影響もあると思います。田中さんの近くで働く中で、どういう話が心に刺さったのかというと、「強い日本を創りたい」と言っていたことなんです。田中さんは、グローバルな時代が今後やってくる中で、海外の企業にやられっぱなしではなく、日本が強いところをさらに鍛えて、日本の良いものを強くし、海外に進出していこうと言っていたんです。例えば日本の携帯電話の技術やサービスは圧倒的に独自に進んでいて、それを早めに中国やアメリカに展開するということをやっていく。50年後でも「強い日本」「世界に誇れる日本であるために日本の強いところを鍛えて、グローバルに展開していこう、そんな田中さんの話に共感しました。また「強い日本」「世界に誇れる日本」を創るというキーワードが僕の頭の中で印象に残っている時に、日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一さんの本を読んで、国を良くしていくためにはどうしたら良いのかと考えていけば、絶対事業はうまくいくという話があったんです。「日本を強くするために創っていくべき事業は何なのか」ということを、田中さんの話や渋沢栄一さんの本などから考えていく中で、「社会の役に立つとか「強い日本」「世界に誇れる日本を、事業を通じて創っていきたいと強く思うようになりました。

フラクタリスト時に事業部長としてやっていた時と起業してからの違いは何かありますか?

起業して圧倒的に何か考えが変わったというのは正直ないんです。ただ周りの見方は変わりますよね。会社員の時は事業を立ち上げて、結果が出てもあくまでもフラクタリストという会社にいるからその結果が出せたと評価される。そのバックグランドがなかったらモバイルSEO事業も立ち上がらなかったという見方もあるわけです。一方で、独立して売上額は会社員の時より小さくなって、自分としてもしょぼいなと思ったことはあったんですけど、結果がすべて「自分の結果として認めてもらえるのは起業して嬉しかったことですね。やっぱり会社員だと結果を出しても自分の結果というよりは会社という「後光が差していたからできたんでしょ」というようなところはありますからね。

地域の人たちが自分の地域を誇れるような事業をしてみたいですね。
「強い日本「世界に誇れる日本」ということを目指し、今後どういうことを仕掛けていきたいと考えていますか?

「地域活性化をしたいというのは昔から思っています。単純に商店街を活性化するというレベルではなくて、地域の人たちが自分の地域を誇れるような事業をしてみたいですね。僕は茨城から出てきて劣等感は少なからずありました。東京の人はいきなり海外を見るのに、茨城の人はまず東京に憧れて、そのあと海外という時点でワンテンポ遅れるというのはイケてないと思うんですよね。愛知であれば「トヨタという誇れるものがあるんですけど、茨城ってなんでしょう?みたいな。それを抜本的に変えるような地域活性化を昔からやりたいとは思っています。それが結果的に「強い日本につながると考えていますので。

日本の良いものを出して強くしていくという点で、これも地域活性化に近いんですが、積極的に日本の医療事業の良いところを集約し、海外に出して、できる限り世界的に使えるようなサービスにしたいとは思っています。じゃ、死ぬまで医療事業をやるかというとそうではなくて、地域活性化もやりたいですし、他の事業もやっていきたい。それは社会に必要な事業、日本の強いところを育て、世界に誇れる日本になるための事業をやっていきたいと思っています。渋沢栄一さんが約500社の会社を作って、今でも残っている会社がたくさんあるのと同じ感じで、1つ会社を創って事業をある程度のところまで育てたら、また新しく会社や事業を創るというようなことをプラスアールでもやりたいと思っています。プラスアールの株を上場したら即売却してしまうという意味では無いんですが、資金ができたら、もともと同じような想いを持っていた人に会社を作ってもらえますし、「世界に誇れる日本を作るのに必要な事業をやるために、1つの事業を成功させて何百億も資金が生まれれば何でもできる。その一発目として今の事業を育てて大きくしたいというのはあります。「チャレンジできる環境」ってどこの会社でも言うんですけど、収益面で厳しいのでなかなかできない。それはGoogleのアドワーズ広告のようにメインとなる収益が安定していないとできないんです。早く収益が安定する成功モデルを創って世界に誇れる日本を目指すべくチャレンジできる環境を生み出したいと思っています。

もう少し具体的な事業のビジョンなどを教えてください。

「最も多くの人の体に関する不安や悩みを解消し、健康で安心な生活を支援するサービス提供企業になります」というビジョンを実現するために、できるかどうかわからないですけど、体重計とか血圧計というハードも作りたいですよね。イメージとしては、アップル社。アップルって最初はパソコンというハードから始まって、いつの間にかiTunes(音楽配信サービス)とかサービス・ソフト的なところまでやっていって、結果的にiPadとか違うものもありつつ、音楽という切り口で革命を起こしてきた。それがプラスアールの場合はWEBサービスから入っていき、ハードまでやっていけるようになると、ヘルスケア分野に変革が起こるんじゃないかなと思っています。体重計の情報をインターネットで飛ばすなどのサービスはあるものの、断片的で、情報も統合されてなかったりするので、最終的にはハードまでやっていきたいと思っています。

地域活性化というところも、最近思いついたことなんですけども、地域活性化していく上でも医療って起点になるなと思って、地方の病院で医療技術が発達した病院を作ったり、サービス面でホテルみたいな病院を作ると、高齢者がそこで治療を受けたいと終の住まいにしたいという希望が生まれて、人口が増えたり、産業が発達していくのではないかと思っています。実際に鹿児島の指宿の方で新日本科学がホテルみたいな病院を運営したり、同じようなことを静岡の方でやっている病院があったりする。かつメディカルツーリズム(=「医療サービス」と「観光」とを組み合わせたパッケージツアー)で海外から患者さんが来たりするので、海外の人も地域に呼び込める。それだけでなくお見舞いとか含め人が往来するようになれば経済活性化すると考えていたりするので、そういうことをミッション・ビジョン実現のためにもやっていきたいと思っています。

渋沢栄一さんの構想やビジョンからどのような影響を受けていますか?

渋沢さんのように僕が死んだ後も生き残る社会インフラになるような事業をやっていきたいですね。「ガスをひきますというのがこれから必要なインフラではないと思うので、インターネットサービスなんだけどインフラになっているものを創っていきたいですね。mixiだってインフラに近いと僕は思っています。同じような概念で「人々にとって必要不可欠なサービスを創りたいと思っています。

ETIC.のインターンを考えている学生にメッセージをお願いします。

なんか僕の中で「インターン」という言葉の表現すら美しく感じてしまうので好きではないんです。僕がフラクタリストに入った時って、丁稚奉公みたいな感じでした。松下幸之助さんが中学生の時に自転車屋に奉公に出されたのに近い感じです。何でもやらされ、しごかれという感じだったので。「インターン」という表現は美しくて、ビジネスの経験もない学生の立場で、最初から「企画を考えられます」「新しい事業を立ち上げられます」といった立場になることはまずない。僕も学生のビジネスプランコンテストで入賞したことがありますが、学生のコンテストって、たかが知れてるプランでしかないと思っているんです。これまでと全く違う思考を身につける上で、「インターン」に来るのでなく「丁稚奉公感覚」で修業に来てほしいですね。その分、その丁稚奉公は圧倒的に鍛えられる。そのプロセスがあったから松下幸之助さんが会社を作れたように、同じような感覚で雑巾掛けするくらいの何でもやるつもりで泥臭くインターンした方が絶対良い。起業することも学生は美しく考えていて、手段が目的化している。

起業は別に手段でしかないんですけど、そこを目的として捉えている。全ての手段をうまく使えるようになるための第一歩目の「丁稚奉公という風にETIC.のインターンを考えてもらいたいですね。

(2011年1月取材)

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