内定後インターンのススメ

体験談

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大きな会社に入るから、そうじゃない世界を見たい。それが内定後にインターンを始めた理由です。

プロフィール

  • 大学:上智大学
  • 所属:三井物産株式会社
  • インターン先:株式会社エヌシーネットワーク

[現在の仕事内容]
2003年に株式会社エヌシーネットワークでインターン後、2004年に三井物産株式会社へ入社。プロジェクト経理を経て、2006年交通プロジェクト部へ異動し、南アフリカ向け電気機関車輸出案件を担当。その後2009年にインド三井物産プロジェクト部へ異動し、鉄道関連ビジネスを中心としたインフラ開発案件を担当中。

今のインドには明治維新の日本のような、まさに国が動いているという躍動感があったんですよね。

―どのような大学生生活を過ごされていましたか?

大学1年生の夏から、バックパッカーで旅行に行き始めました。インドが楽しいと高校のときから聞いていて、それで、初めて海外に行くならインドに行きたいなと思いまして、大学1年生のときに初海外旅行でインドに一人旅に行きました。旅行と並行してオーケストラ部、模擬国連(参加者が国連職員として国連会議のシュミレーションを行うサークル)をやっていました。そもそも「国連で仕事がしたい」というのが漠然と大学を選んだときからあったので、模擬国連のサークルに参加していたんです。インドが初の海外だったんですけど、海外旅行は楽しいと思いましたね。

何が楽しいのかと言うと、インドの場合は、日本にはない、今まさに国が動いているという活気があったんです。貧しい人もいる一方で、想像できない位豊かな人もいて、貧しい人もみんな目が活き活きとしている。

僕は時代小説で幕末の話なんかをよく読むんですけど、明治維新の話とか。今のインドにはそういう雰囲気があるのかなと思いましたね。日本では感じられない躍動感みたいなものがあったので。インドしか知らなかったんですけど、海外はこんな感じなのかと思って海外旅行が好きになり、いろんな国に行くようになりまして、アジアを中心にその他、南米、トルコ、エジプト、ギリシャとかいろいろ行きましたね。

―今の赴任先であるインドは、そこから始まっているんですね。

僕は国際関係法学科に在籍していたんですけど、最終的には法律の勉強ではなく、経済学の勉強に力を入れてました。経済学の授業を受けている中で、開発経済学を教えてくれていた先生が印象的で、その先生が南インドのケララ州に注目していて、授業で教えていたんです。

インドにはたくさんの宗教があるんですけど、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教、キリスト教、ジャイナ教、ゾロアスター教。普通いろいろ宗教があると宗教間の対立があるんですけど、ケララ州では対立がほとんどない。なおかつ産業が特にない、資源もない、工業化が進んでいるわけでもない、でも教育水準が高い。識字率はインド平均で50%を下回るが、ケララ州は90%を超えていて、大学の進学率も日本並みに50%あるんです。

そういったことを先生に教えてもらったんですね。インドも好きだし、開発経済学、途上国にも興味があったので、南インドを腰をすえて勉強してみようと思い、そのケララ州に行ったんです。先生に紹介してもらった人の家に泊めてもらいながら、フィールドワークではないですが、ケララ州でココナッツオイルの工場で働いたり、八百屋で働いたり、道路工事の現場で働いたり。ケララ州にいたのは2週間ぐらいで、さわりしかわからなかったんですけど、現地の人と交流してみたり、ケララ州の大学に行って、紹介してもらった学生と話をしたりしてました。

そのケララ州の体験は大学3年生のときで、なんとなく自分は途上国、特にインドに対して貢献できるような仕事ができると良いなと思い描くようになったんです。でも、これは後から考えたのですが、純粋に貢献したいのではなく、そういうことをする自分を求めていると思ったんです。インドだと、マザーテレサとかガンジーとかいますよね。

そういう人は自分の心(欲)とか抜きで社会貢献をやっていると思うんですけど、僕は違うと思ったんです。そこまで聖人君子ではないので、自己実現の欲求として貢献したいんだと思ったんです。但し、旅行してる時や就職した時は、そこまで考えをまとめられてなくて、途上国に貢献できたら良いなと思っていたぐらいでした。

「三井物産という大きな会社に入るから、そうじゃない世界を見たい。それが内定後にインターンを始めた理由です。

―それからどんなきっかけでETIC.に来てインターンシップを始めるんですか?

ETIC.に出会う前に三井物産の内定をもらったんです。途上国のインフラに携わる仕事がしたいという動機で第一希望の三井物産に内定をもらいました。それからETIC.に出会うことになるんですが、ETIC.に行こうと思った理由は、就職活動を通じて仕事をするイメージが、エントリーシートを書いたり、面接受けたりで湧いてくるじゃないですか。それで早く社会に出たいという欲求がある一方で、これから三井物産という大きな会社に入るから、そうじゃない世界を見たいなということでETIC.のインターンを見つけたんです。

いくつか候補がある中で、中小企業というテーマを前面に押し出しているのが、株式会社エヌシーネットワーク(以下、NCネットワーク)でした。「挑戦する製造業のために」という想いを掲げて、中小製造業の支援を行っている会社なんですけど、ここ面白いじゃないかと思ったんですね。いろんな人にも会えそうだし、三井物産で働くと、中小企業の会社の人たちと付き合うことって、あまり無くなってしまうと思ったので。インドも日本の経済も中小企業で成り立っているので、中小企業のことは知っておかなければいけないという風に考えてたんですね。

それと学生時代は、板前のアルバイトをしていて、日銭感覚というか、飲食の場合って10円とか100円とかそのくらいの単位で数字(利益)を出していくじゃないですか。そこの感覚は忘れたくないなぁと思ってまして。インドでも一日100円200円で働いていたので。そういう風に思ってNCネットワークにエントリーし、インターンが始まることになります。

―インターンシップ時代は特に営業のチームで活躍していたと聞いていますが。

インターン当初は、NCネットワークが運営しているエミダスという中小製造業への仕事の発注、受注のマッチングを支援するサービスの営業をやっていました。そのサービスの一環で有料会員向けの動画サービスをスタートさせたんですね。

動画サービスというのは、中小製造業の技術を動画に撮って、各企業のwebサイトに載せるんです。製造業に仕事の発注を検討している企業向けに、その動画を配信するんですよ。そうすると中小製造業の営業マンが発注先に行かなくても、世界中の企業に24時間365日、動画が営業活動してくれるようになるんです。その動画を作りませんかと中小製造業に対して営業をしていました。

その時は本当に楽しかったですね。最後は三井物産の入社前日までやっていました。自ら営業し、受注した仕事が終わらなくて、その企業の動画のシナリオを書いたりとか、ホームページがない企業もあるので、ホームページのデザインとかも考えたり。入社前日まで働くくらい、面白かったです。

―その時の仕事の醍醐味は何だったんですか?

サービス開始時でもありますから、上司からどうこうしろというような指示がなかったので、自分で考えて、ここの会社に行ってみようと決めて営業に行ってました。営業先に行くと、会社の技術(現場)をまずは見させてもらうんです。技術に関しては、僕は全然わからないですから、話を聞いていくんですけど、そうすると「なるほどそういうところが強みとしてあるんだ」と企業のことが見えてくるんですね。後は、それをどういう風にアピールするのか、僕らで考えて提案していく。

その提案を信頼してもらって、受け入れてもらうというのが、営業の一連の流れだったんですが、それで動画を撮ってお客さんが実際に使い始めると、「ありがとう。飯山君こないだ動画見たって人が発注くれたよ」と言ってもらえたりしていて、これは楽しいなと思いましたね。

―中小製造業の方々と仕事をしていておもしろいことなどありましたか?

中小製造業は規模が小さい分、トップの人と会う機会が多くなるんですね。その人達は長年トップをやっている人達。要するに経営のプロ。僕らサラリーマン(大企業)は、上司もどんどん異動するし、社長もどんどん変わる。そういう組織とは違って中小製造業のトップの人達は、自分でリスク背負って、仕事されている人達ですから、仕事失敗したら従業員も路頭に迷うし、それこそ家財全部没収されるし。リスク背負ってやっているんですね。

だから話がおもしろいし、仕事に対して本気なんですね。そういう方々と仕事が出来るのは醍醐味だと感じてました。

デリー・ムンバイを結ぶ貨物鉄道の開発という国家プロジェクトに携わっています。


―インターンシップが終了し、三井物産に入社されるわけですが、入社して最初はどういう仕事を担当していましたか?

商社は幅広い事業分野の活動があるので、入社前にそれぞれの分野でどういうことをするかという説明があるんですね。それが終わると、どの部署に行きたいのかという希望を出すんです。それで、インターンも経験していたので、いろいろ考えていたんですけど、自分に足りない部分でもあるし、今後仕事をしていく上で、三井物産とか商社とかに限らず、数字のセンス、能力が必要だろうと思いまして、まずは経理に配属を希望したんです。「但し、経理のその後には、必ず営業に異動させて下さい」と。営業の中でも、途上国のインフラ系の仕事がしたいと具体的に希望しました。

発電所、化学品プラント、港湾、道路、鉄道などインフラ系の商売を扱っている部署があるんですけど、そこの部署に行きたいと。経理もその部署の担当経理に行きたいと希望しました。それで運よく、希望が通ってインフラ系の営業経理に配属されたんです。

―経理の仕事はどのくらいの期間担当するんですか?

2年と3ヶ月です。営業に紐ついた経理は、2年ぐらいたったら営業転出といって営業に異動になることになっていたんですね。それで自分が担当していた交通プロジェクト部という鉄道開発をしている部署があったので、「交通プロジェクト部に行きたいです」と希望を出しました。すると営業部からも「ぜひ飯山にきてほしい」と言ってもらえまして、異動することになるんです。

ただ、その年は会社の組織体制が変わっていった年だったので、みんな希望通りにいかなかったんです。在籍していたプロジェクト経理は5人ぐらい同期がいるんですけど、僕以外全員希望通りにいかなかったですね。そういう意味では僕だけ希望通りに行けたので、入社時の配属に引き続きラッキーだなと思ってました。

―自分なりに今考えると、希望通りの配属になった要因は何だったと感じてますか?

「ここに行きたいんだ」と主張は継続的にしていました。何で行きたいのかをしっかり考えて、相手にしっかりと伝えてました。ただ単に「行きたい。行きたい。」じゃ通用しないですからね。「何で行きたいのか」「何で相手にとって自分が必要なのか」と、わかってもらえるように、感じてもらえるようには説明してました。

―転属希望を出して、アフリカの鉄道開発に携わるんですよね?

そうです。アフリカに行きます。営業転出をして交通プロジェクト部に異動になって、鉄道関係のビジネスをする部署に配属になりました。それで最初に担当になったのが、南アフリカ向けの電気機関車の輸出案件でした。機関車自体ではなく、電気部品を日本から輸出して、外側の箱の部分は現地で作ってもらう。それを現地で組み立てて、南アフリカの国鉄に納品する仕事でした。

僕は契約が取れた直前ぐらいに担当になって、主に契約の履行の部分を担当することになりました。子会社を3つ現地に立ち上げるのですが、その設立には主体的に携わりました。現地法人を立ち上げて、人を雇って、日本からトップを派遣してと。それから会社の内規を決めたり、経理、法律、税金をどうするという風に。その設立のところをすべて担当して、プロジェクトが始まるんですけど、日本側からの製品は納期内に届くんですが、現地での外側の組み立てが上手くいかなくて、納期遅延が起こってくるんですよ。その改善をどうするかで、1年の内、半年ぐらい現地に行って徹底的に向こうの工場に張り付いて、どうしたら良いか会議したりしてました。

僕は技術の人間じゃないから具体的にどうしたら良いかわからないんですけど、トヨタの改善方式の勉強をしてみたり、コンサルの方に来てもらって、指導してもらったりしながら、納期に間に合うべくいろいろ工夫しながらやっていました。そういうのを南アフリカで3年間、配属部署は日本ですが、長期出張ベースで日本と南アフリカを行ったり来たりしながらやっていましたね。

―その納期遅延は、アフリカタイムというか、現地特有の時間の流れが原因ですか?

それもありましたけど、南アフリカではアパルトヘイトが行われていたのも一つの要因だったと思います。アパルトヘイトが終わったからって、人間そんなにすぐには仲直りできないんですね。白人と黒人の軋轢があって国が止まっちゃうんです。そうすると定期的にメンテナンスされていた機関車・車両がメンテナンスされなくなっちゃうんですよ。それで交通がマヒしてしまうんです。

新しい発注も90年代はじめから15年間ぐらいなかったんで、僕らの案件がアパルトヘイト後、初の再開案件だったんですけど、僕ら黄色人種は黒人と白人の中間点に入れるんですね。黒人とも白人とも話が出来るし、日本から技術も持って行けると。黒人の現地の会社がルーズだったんですけど、そのルーズだった根っこは、アパルトヘイトが根っこにあったりもしたんです。

―3年間、長期出張ベースでこの南アフリカのプロジェクトに関わって、その後、インド赴任になるわけですね?

そうです。インドに赴任します。毎年異動調査票にインドって書いていたんですけど、その頃ニューデリーとドバイとシンガポールに若手を新たに赴任させるということがありまして、インド希望が少ないこともあり、推薦制だったんですけど、「インドだったら飯山がいるじゃないか」と希望通りに決まりました。

―推薦制とのことですが、推薦された理由はご存ですか?

やっぱり声出して、周りにアピールしているからだと思います。「インドに行きたい」と。飯山が何やりたいのか、周りが知らないと推薦もできないですから。

―現在は、インドで鉄道のプロジェクトを担当しているんですか?

今もインドに赴任していますが、所属している部署全体の仕事もあるんです。電力関係、化学プラント、港湾、道路、空港などいろいろあるんですけど。その中でも、鉄道出身なので、主には鉄道プロジェクトを担当しています。今、ODAでインドに円借款がついているんです。そのODAで、デリー・ムンバイを結ぶ貨物鉄道の開発プロジェクトがあるんですけど、それは国家プロジェクトなんですね。当然僕らの会社にとっても受注出来れば目玉のプロジェクトになるので、今はそれをメインで担当しています。インド人の現地スタッフはいますけど、日本人は僕と上司だけであり、上司は鉄道関連部署の出身ではないので、鉄道により詳しい僕が前線に立っています。

発展途上国支援というとボランティアとか無償で資金援助するとかってイメージが先行していますが、お金を儲けて仕事をすることも相手の国のためになっていると思うんです。

―ETIC.には、発展途上国支援などに興味を抱いている学生がよく来るのですが、実際に途上国の現場で働いている立場、商社で働いている立場から、学生に言えることはありますか?

これは海外の貧困の支援とか発展途上国の支援と自分のやっている仕事をどうつなげていくかって話に関連してきます。支援というとボランティアとか無償で資金援助するとかってイメージが先行していますが、お金を儲けて仕事をすることも相手の国のためになっているんです。お金を儲けて仕事したら、貢献なんかしていないと思われるかもしれませんが、それは全然間違いだと思うんです。

例えば、ちゃんとサービスを受けたら、普通はお金を払うじゃないですか。逆にお金を払わなかったら、どんな悪いサービスを受けても文句は言えない。僕らだって服を買う、旅行にいくとか、お金を払ったらそれ相応のものが還ってきますよね。自分がお金を払った以上のものが還ってきたら、それは満足じゃないですか。

逆に下回っちゃうと不満足になる。お金を払わずに何かをもらうということは、基本的にもともと満足のレベルが低いんですよ。タダだから。本当に相手の国のためになる支援って、相手の国からそれ相応の対価をもらって、それ以上の効果をもたらすということだと思うんです。本当に相手の国のためになることをすることは、お金をもらってやることだと僕は思っているんですね。お金を自分達で払ってプロジェクトを実行する。円借款とかもローンなので、相手国政府は超低金利でお金を借りてインフラの整備をやっているわけです。だから相手の国だって真剣ですよ。お金借りて、ドブに捨てるわけにはいかないですからね。インドなんて民主主義国家だから、そんなことしたら選挙でクビになりますし。

だから僕は、良い仕事をして、相手の人に認めてもらうことが相手の国の支援になると思っています。

動ずることなく、主張しなければいけないところは、しっかりと主張しますね。そういう胆力がついたのはインターンの経験でした。

―ETIC.のインターンシップが今の取り組み、姿勢、志に影響を与えていることがあれば教えてください。

NCネットワークでの経験しか語れないんですが、「良く遊び。よく働け。オフも全力投球。オンも当然全力投球」それと「壁をつくらない。」「誰の話でもしっかりと聞く。」ということを内原さん(NCネットワーク代表取締役)から学びました。

―そういったことが現在の仕事でどう影響を与えているのですか?

仕事は元気に明るくやってます。暗くやっていると周りも暗くなりますから。声はめちゃくちゃ大きいですし、電話も大きい声で話しますし、大爆笑しながら仕事をしている。そういう風に明るくやるというのが周りにも影響がでますから。今、僕の下に現地の人も何人も働いているんですけど、明るく仕事しているとチームワークが出来あがってくるんですよ。

例えばですけど、現地の人の話をしっかり聞くとか。役職が上に行くと、忙しくなってくるので、部下の人が話しかけてきても、パソコンに目を向けたまま話を聞くことがあったりするんですけど、そこは自分の仕事は、さておき話を聞く。それはやるようにしています。それは内原さんもインターン時代にちゃんと僕の話に耳を傾けてくれていましたから。

―その他にインターンシップ時代に受けた影響はありましたか?

NCネットワークの時に、毎回名刺交換していたのは、みなさん社長の方々ですから、そういう上の役職の人と話をする免疫ができたというのはありますね。日本からも政府、行政、経済界などから官僚の方、役員の方がいらっしゃるんですけど、僕は動ずることなく、主張しなければいけないところは、しっかりと主張しますね。先日も、政府の官僚の方が団体でいらっしゃったんですけど、そのときも主張すべきことはしっかりと伝えました。その辺の肝が据わり、胆力がついたのは、NCネットワークの経験が大きかったと思います。

―最後にETIC.インターンシップの魅力を聞かせて下さい。

ETIC.のインターンの魅力は、多様なインターン先があって、自分が気づいていないような可能性を引き出してくれることですね。例えば、就職活動前だったら入りたい業界のところに単純にインターンをすることになると思うんですけど、そうじゃなくて、個別面談を通して、自分が思ってもいなかったようなインターン先など、全然違う可能性をETIC.のコーディネーターから提示してもらえる。そういった意味では、様々なインターン先を抱えているETIC.は魅力だと思いますね。

(2010年12月取材)